「中庸」ということ

 今日は久しぶりに孫禄堂著「拳意述真」を読み返し、あわせて「大学・中庸」を読んだ。
最近の稽古の実感としては、如何なる状態においても自らの身体及び意識の「中庸」を保つのが、
武術としての本道ではないかと思うのであるが、他派ながら拳意述真に著されている種の要訣が
非常に参考となった。
 人が何かと対峙し、緊張を強いられる場面では、必ずその影響が身体及び意識に表れるもので
ある。恐怖感で脚の力は抜け、肩には力が入り、思考もかき乱され、冷静な対応というのがとりにくく
なるのが、ストレスに接しなれていない場合にはある種自然な反応であろう。
このような外界からの刺激によりストレスフルな状況下において、手指の隅々まで気が開展し、伸びやか
な状態、また意識の滞りもない状態に自らを導き、適切な対処が出来るというのが武術の目標のひとつであろうと
思う。もちろんこれは肉体的な闘争状況に限らず、人生におけるあらゆる局面においてなせることが重要である。
 それにはどのような訓練を積めば良いのだろうか。まず武術としての稽古においては無極トウを筆頭とする
各種のタントウ功と、それにより養われた身体の「中庸」状態をいつでも維持できるようにする単式練習とそれに
引き続く実践的な組み手が重要であると思う。そして、さらに実生活及び社会生活の場においても意識や身体の
「中庸」状態を保つ練習は可能であり、寧ろ積極的に実践していくべきだと考える。