気と武術

昔から唯物論者で、「気」なんて聞くと、なんて胡散臭い物だろうと眉に唾を付けるタイプだったのだが、最近やや見方が変わってきた。
勿論、「気で離れた相手を遠隔操作!」やら「気の力で君も魔剣士になれる!(笑)」なんてのには未だに懐疑的であるが、自らの体内に充満し、駆け巡る「内気」というものの存在には確信を持てるようになってきた。労宮穴・湧泉穴を使った採気法、立禅・座禅での内観及び呼吸法を通しての気の運用、易筋での各筋の開きによる気の流通など、武術で用いられる様々な錬功法は、自らの体内の気の養成・流通に大きな益があると実感できる。昔日の武術家や仙道家はこの感覚をはるかに延長した境地を目指し、様々な錬功体系を作り上げ、理論化していったのかと考えると非常に感慨深いものがある。